初めて身内を亡くした時の感情が興味深かったので書き連ねてみる(後編)

体験談

 2019年5月に、祖母が病気で亡くなりました。2つ以上の癌を抱えていたようです。

 人生で初めて身内を亡くしましたが、その際に感じた感情が興味深かったので、書き連ねることにしました。その後編です。

 明るく楽しい記事でないことはタイトルからもお分かりかと思いますが、興味のある方は新たな発見があるかも知れません。前編をまだ見ていないようであれば、そちらから読むことをお勧めします。

何もかもが初めて

はじめての納棺

 祖母の死亡宣告は終わりましたが、問題はここからです。祖母の体を病室に置いておくわけにはいきません。家に持って帰らなければなりません。

 でもどうやって??

 まずそこからです。葬式を主催したことがないため、何もかもが手探りな状態です。父親と協力してスマホで検索し、遺体を運んでくれる会社に連絡し、それから地元の葬祭を請け負っている会社に連絡して、迎えが来てくれるまで病室の片付けをしました。

 やがて、専用の輸送車が到着し、祖母を乗せたストレッチャーを車に乗せ換え、祖父と母が同乗した輸送車が一足先に医大を後にしました。輸送車を見送り、黙礼する主治医や看護師の姿が、印象的でした。

 祖母の家に着いた後は、担架から祖母を下ろす作業です。布団を敷き、遺体を乗せ換え、キロ単位のドライアイスを複数置いて遺体の腐食を抑制します。

 その後、葬儀社の人がやってきて、その人の指示に従って作業を手伝いました。詳しいことはもうよく覚えていません。

 ただ、半日前まで生きていた祖母の周りが、みるみるうちに葬式へ向かっていることに対し、半ば無感情になっていた気がします。はっきり覚えているのは、小柄な祖母が信じられないくらい重かった、ということです。

 翌日には納棺しました。しかしその前に、死に装束を着せなければなりません。妹以外の家族と、駆け付けていた親戚と協力して、葬儀社の方の指示を受けながら着せていきます。それがなかなか難しいんです。

 当然祖母は体を動かせませんから、すべての動きをコントロールする必要があります。重い体を傾けたりしながら装束を着せる作業は、かなり労力のいるものだということを知りました。

 関節は硬く、体は重いので、死に装束を着せる作業は私を含めた5人で行っても、かなり大変でした。大柄な男性に着せるとなると、もっと大変なのでしょうね。

 体を反転させたときなどに分かりましたが、踵や肘など力が掛かりやすい部分は黒っぽく変色していました。それ以外の体色は思ったよりも肌色に近かったです。

 死に装束を着せ終わる前に、葬儀社の方が、口の中に付けていた脱脂綿を交換していました。口の中から取り出された脱脂綿はどれも赤黒く固まっており、血液を含んだ体液が沁み込んでいることがよく分かりました。

 死に装束を着せ終わったら、今度は納棺です。棺に祖母の遺体を収め終わった後、私は祖母が横たわっていた場所に立ちました。人が寝ていた場所は暖かいはずなのに、そこは冷たかったのが、非常に印象に残っています。遺体に死に装束を着せる作業よりも、棺に運び入れる時よりも、冷たい寝床に立った時の方が、人の死を実感しました。

 納棺する際に知ったのですが、最近は遺体の頭に三角巾を巻かず、頭の横に置いておくだけの場合というのが増えているそうです。

 納棺された祖母の唇に綿棒で水を塗るという作業もあるのですが、綿棒から伝わってくる祖母の硬くなった唇の感覚は、しばらく忘れられませんでした。

 火葬は、納棺した日の2日後に行われました。私の地元では、葬儀が終わるまで、亡くなった人の子どもが実家に泊まり込むという風習があるらしく、両親はしばらく祖母の家に泊まり込んでいました。妹と二人で過ごす夜は、うすら気味悪かったのを覚えています。

はじめての火葬

 私の明確な記憶がある範囲では、初めての火葬場です。親戚ら20人ほどを乗せたバスで火葬場に着くと、読経、焼香の後、祖母は火葬されました。最後のお別れの時にも、妹は泣いていました。私はと言うと、成人済みということもあり、親戚の対応にあたっていました。

 火葬には2時間程度の時間が掛かります。その間、親戚の人などに軽食や飲み物を提供するのも、喪主側の仕事です。差しさわりのない範囲で、お酒も口にしました。酔った親戚が、錦鯉の養殖で儲けられるという話をしきりにしてきて、対処に困りました。

 火葬が終わる10分ほど前には、火葬の終了予告と、使用したスペースの片付けがアナウンスで促されます。

 そしていよいよ納骨です。

 納骨室には、石が焼けたような匂いが立ち込めていて、熱気をはらんでいました。残っている骨は少なく、はっきりと形が分かったの頭蓋骨と、肋骨の一部、大腿骨くらいでしょうか。骨は横たわった人の形状の配置をしているので察することは出来ますが、一度混ぜてしまうとほとんど分からなくなりそうでした。喉仏は職員の方が説明してくれましたが、立ち位置の関係か、私には仏のようには見えませんでした。

 納骨は喪主である祖父から行いました。納骨室には、「千の風になって」や「涙そうそう」といったような、人の死を悲しむような曲のオルゴール版が流れていました。祖母と仲が良い訳でなかった私は、人の死を悲しむことが美徳ということを押し付けられているような気がしてしまいました。あとで、父も似たような感想を抱いていたことが分かりました。

 人が人の死について抱える感情は、人それぞれだと思います。ならば、あの納骨室は無音であって欲しかったなと思いました。

 箸で拾えるサイズの骨を拾い終わると、職員の方が小さなほうきと塵取りで骨粉を集め、骨壺に入れることで、納骨は終了しました。

 たったの2時間で、人は灰になります。儚いというか、あっけないというか、骨になった祖母を見た時には虚しい気持ちになりました。人は死ぬと無に還るのだな、と思いました。

はじめての葬儀

 火葬の翌日は葬儀でした。早くから集まってくれた人たちのために、仕出し屋さんに用意してもらった軽食を提供し、葬儀の時間を待ちます。

 今回の葬式は家族葬で、家族4人ですべてを切り盛りしていました。家族が多い家庭や、仲の良い親戚がいる家では人手を確保しやすいと思いますが、我が家は後のしがらみなども考慮し、家族だけで切り盛りしました。親戚の中には葬式の大変さを知っている人もいたので、軽食の後片付けを手伝ってくれる人もいました。

 香典を持って来てくれた人の名簿を作成し、香典泥棒されないように管理するのも仕事の一つです。あとで金額を計算して思いましたが、確かに盗みたくなるような金額でした。

 お坊さんが到着し、読経が済むと、今度は近くのお墓まで行列を成し、お墓に飾る物や備える物を運びます。田舎ならでは光景でしょうね、きっと。私は銅鑼を定期的に鳴らす役でした。

 私たちがお墓に遺骨を納めに行っている間、妹は1人祖母の家に残り、仕出し屋さんから料理を提供する順番の説明を受け、準備していました。

 葬儀全般を通して思ったことは、休む暇がないくらい忙しい、ということです。慣れないことだらけだったので、余計にそう思ったのかも知れません。家族全員が協力できたから何とか葬儀を終えることが出来ましたが、もし誰かが欠けたりしていたら、何かしらのトラブルが起きていたでしょう。

後日譚

 葬儀自体は特に問題なく終わりましたが、むしろ大変だったのはその後だったかも知れません。少なくとも両親にとっては、葬式後の方が大変だったはずでず。

 まず、香典のお返しに結構な時間を取られます。20、30人に配達する訳ですから、時間を喰います。私も運転手として手伝いましたが、何せペーパードライバーですので、苦労しました。

 香典の計算にも手間取りました。貰ったはずの額と、目の前にある額が一致しない時は、結構焦りました。おまけにうちの場合面倒くさかったのが、統合失調症患者である祖父がお金を取ってしまった可能性があったこと。結局金額自体は合っていましたが、紙幣の構成がおかしいという、すっきりとしない結果に終わりました。

 また、祖母が契約していたあらゆる契約を更新する作業が、非常に面倒くさそうでした。この作業には主に父親が携わりましたが、苦労している様子がよく見えましたね。ちなみに祖父は字が読めない人なので、悪い言い方をすれば、何の役にも立っていませんでした。

さいごに

 後編の大部分は、祖母が亡くなった時の感情というより葬儀終了までの流れの説明に待ってしまいましたね。タイトルで嘘つきやがってとか言わないでください。反省しますから。

 人が死ぬのは悲しいことではありますが、それだけではありません。ちょっとだけ解放された気分になった自分を隠すつもりはないですし、父も肩の荷が下りたようでした。

 私が祖母の死をそれほど悲しいと思わなかったのは、祖母との関係が良いものではなかったからでしょう。ただ、大学の学費など、今まで資金的な面で援助してもらっていた側面もあるので、お礼をしっかり伝えられなかったのは悔いかも知れないです。亡くなる1カ月ほど前には祖母のささくれ立った足の爪を削ってあげることが出来たので、ちょっとは恩返し出来たと思いますが。あの時が、10年ぶりくらいに祖母に触れた時間で、最後の時間でもありました。次は、遺体を触った時ですから。

 死んでしまった相手にはもう何も伝えることは出来ません。文句を伝えることも、お礼を伝えることも、生きている相手にしか出来ません。あなたが伝えたいことは、その相手が生きているうちに伝えておいた方がいいですよ。

 葬儀が終わった数日後、母の夢に祖母が現れたそうです。こちらの方言で、「もう大丈夫だよ」と言ったそうです。ならば、きっと成仏してくれたんでしょうね。

 最後にこんなことを言うのも気が引けますが、葬式を挙げるのは本当に疲れますし、お金も時間も掛かります。母は有給も消費して葬式の事後処理にあたっていましたし、私も大学を1週間程度休みました。講義の数が少ない4年生の時でなかったら、後れを取り戻すのに苦労したと思います。身内は死なないに限ります。

 あと、卒論の締め切りの時期には絶対に身内に死人が出て欲しくないと、切に思いました。不謹慎と思われる方もいるかも知れませんが、時期によっては卒業できなくなってしまう可能性もあり得る(ないとは思いますが、時間がひっ迫します)ので、本当にやめて欲しいです。まあ、実際に葬式をしなければならなくなった際には、葬式を優先させるかもしれませんが。

 最後の最後に言っておきます。死んだときにご家族やご兄弟に掛ける迷惑を減らしておきたいのなら、あなたが契約しているものや解約しておいた方が良いもののアカウントなどを、一覧にまとめておいた方が良いでしょう。それだけで、だいぶ労力が減りますよ。

 今回は初めて身内を亡くしたことで感じたことや、苦労したことなどを時系列と共に書きまとめてみました。今後できればこのような記事は書きたくないですね。でも、興味深い出来事でもありました。

 年末には暗い記事でしたが、翌年に持ち越したくないと思い、投稿することにしました。

 次回はもっと楽しい内容の記事でお会いしましょう。

 ではまた。

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